トップ > 日本

日本 Japan

レストランやワインバー、居酒屋などに足を運べば、フランスやイタリア、アメリカやオーストラリアなど様々な生産地のワインを楽しむことができます。しかし、ここ最近は日本で収穫されたブドウで造られた「日本ワイン」も定番になりつつあり、レストランに限らず、和食店や寿司屋など幅広い店で「日本ワイン」を目にするようになってきました。現在、日本各地でワインが造られ、多種多様な香りや味わいのものが生み出されており、品質も急上昇。売上も増加して、産業も活発化しつつあります。

南北に細長い島国、日本。総面積は3,780万haでドイツとほぼ同じ面積ですが、ドイツは平野部が多いのに対して、日本は75%が山間部となっています。現在では、北は北海道、南は宮崎県までほとんどの都道府県でワインが生産されており、ワインの原料となるブドウの栽培地に至っては、北端は北緯44.1度の北海道名寄(なよろ)、南端は北緯31.3度の鹿児島県曽於(そお)と日本のワイン造りがいかに南北にわたっているかが分かります。

日本では、盆地の際の扇状地にブドウ畑が多く見られます。扇状地の土壌は水はけが良く、また盆地は夜の気温が下がり、降水量も少ないのでブドウの栽培に適しています。しかしながら、世界のワインの産地と比較すると、気候の条件としては厳しいのが現状です。日本でのワイン造りは常に、ブドウの生育期の高い湿度、6月から7月にかけての梅雨、そして7月から10月にかけてやってくる台風との闘いでもあります。こうした日本の気候風土でブドウ栽培に携わってきた先人たちは、時にはこうした自然とも闘い、時には自然に寄り添うことで、日本のブドウ栽培とワイン造りの礎を築き上げてきたのです。

2008年の洞爺湖サミットを始め、海外からの来賓との食事会でも提供され、また近年では国際的なワインコンクールで金賞を受賞するなど、着実に評価を上げている日本ワイン。私達が暮らすここ日本も、世界と肩を並べつつあるホットな生産地として注目が集まっています。

キリスト教とともにやってきたワイン


日本にワインがやってくるきっかけは16世紀、大航海時代のヨーロッパから「黄金の国ジパング」を求めてやってきた事から始まります(このとき日本では室町〜安土桃山時代)。当時、日本では現在の島根県にある世界遺産、石見銀山での銀の生産が本格化している頃で、ここで生産された銀は世界最高の品質を誇り、ヨーロッパを始め各国へ輸出されていました。

そしてポルトガルとの南蛮貿易が活発化する頃、宣教師フランシスコ・ザビエルがワインとともにキリスト教の布教の為に日本へやってきます。ワインはキリスト教にとって重要な飲み物である上、日本各地の大名への献上品として用いられました。こうして日本へワインが伝えられたと言われています。

日本でのワイン創生期の苦悩


時は流れ明治時代、ようやく日本でも本格的にワイン造りを行う動きが見られ始めます。明治政府は殖産興業の一環として西洋の野菜や果物の導入を行います。ワイン生産用のブドウもその中の一つでした。1874(明治7)年、山梨県の甲府において山田宥教(ひろのり)、詫間憲久の両名により、ブドウ酒共同醸造所が設立され、本格的なワイン造りが始まりました。

政府は国家プロジェクトとして兵庫県に「播州葡萄園」を造り、ブドウの栽培とワイン醸造を始めます。しかし、フィロキセラという害虫の被害に遭い、このプロジェクトは破綻してしまいます。時を同じくして北海道や山梨でも、試験的にブドウ栽培とワイン醸造を開始しましたが、なかなか成果が出ず失敗に終わってしまいました。当時の日本は、ブドウ栽培とワイン醸造の双方において、十分な技術を持っていませんでした。

日本のワイン造り基礎「土屋龍憲(りゅうけん)」と「高野正誠(まさなり)」


1877(明治10)年、民間で初めてのワイン醸造所「大日本山梨葡萄酒会社(祝村葡萄酒会社)」が祝村(現・山梨県甲州市勝沼)に設立されました。会社創立当初に醸造研究の為、フランスに人材を派遣する計画が立ち上がり、土屋龍憲と高野正誠の2名が選出されます。地元勝沼の将来を託された2人は、フランス・シャンパーニュ地方のトロワにおいて1年半に及び、ブドウ栽培とワイン醸造の技術の習得に励みます。2人の帰国後、祝村葡萄酒会社はワイン醸造を開始するものの生産は軌道に乗らず、1886(明治19)年には会社は解散となってしまいます。

その後、土屋龍憲は「甲斐産商店(のちの大黒葡萄酒→オーシャン→メルシャン)」を設立。祝村の設備を買い取り、ワインの生産を開始します。一方で高野正誠は、フランスで習得した知識と技術を『葡萄三説』という書籍にまとめ上げます。2人が学んだ知識と技術は、日本のワイン生産の基礎となっています。

日本ワインの父「川上善兵衛(ぜんべえ)」


川上善兵衛はブドウの品種改良に注力した人物です。1868(慶応4)年、新潟の豪農の家に生まれますが、父親の他界により若くして当主となります。善兵衛は殖産興業への貢献の為、新たな農産物の必要性を感じ、ブドウに白羽の矢を立て、その未来を託しました。1890(明治23)年、彼は新潟に「岩の原葡萄園」を開設し、私財を投じて自宅の庭や裏山でブドウ栽培を開始します。3年後の1893(明治26)年からワイン醸造に着手しますが、発酵時の高温から失敗に終わってしまいます。そこで彼は低温発酵の必要性に気付き、地下水の冷気や雪を利用した低温発酵のシステムを構築していきます。

また彼は日本の風土に適したブドウの研究を重ね、様々な品種を世界各地から取り寄せて交配を行いました。その結果、1927(昭和2)年に現在の日本のワイン産業において重要な役割を果たしている「マスカット・ベーリーA」が誕生します。

当時の日本人の味覚にマッチした甘味果実酒を製造「神谷傳兵衛(でんべえ)」


明治以降〜近年まで、ワインは日本人の味覚に馴染まないものでした。しかし、ワインに糖分などを加えた甘味葡萄酒が広く飲まれるようになると、甘い風味のものが日本人の舌に合うことが分かるようになります。そこで1881(明治14)年、後のシャトーカミヤ(茨城県牛久市)の創業者である神谷傳兵衛は、ワインにハチミツや漢方を加えた甘味果実酒、「蜂印香竄(はちじるしこうざん)葡萄酒」を発売。薬用酒として広まり、全国的な人気商品となりました。

ブドウは科学兵器?


ワインには酒石酸という有機酸が多く含まれています。1940年代半ば、この酒石酸を元に作られる「ロッシェル塩(=酒石酸カリウムナトリウム)」という物質がソナー(水中聴音器)の材料になることが分かりました。太平洋戦争真っ只中にも関わらず、当時の軍需省は酒石酸を獲得するためにワインの生産を奨励して、生産量をさらに増加させました。しかし、ワイナリーの数は戦時中の強制的な統合により激減しました。そして終戦後、増産の反動でワイン産業は低迷してしまいます。

戦後の生産の拡大とワインブーム


戦後もしばらくの間、人気を博していたのは甘味葡萄酒でした。しかし、1960〜70年代になると、東京オリンピックと海外旅行の自由化、そして大阪万博の開催によって日本でのワインの認知度が高まっていきます。また高度経済成長も相まって、ワインの生産と消費も拡大していきました。最初のワインブームはこの頃に起こり、日本の食卓にも食中酒として辛口のワインが浸透していくようになります。

1970〜80年代になると、ワインの消費量が甘味葡萄酒を上回るようになり、ブドウ品種や産地がラベルに記載されたワインが販売されるようになりました。その後、バブル期にはボジョレー・ヌーボーブーム、1990年代には低価格ワインブームや健康志向による赤ワインブームが起こり、日本にもワイン文化が根付いていきました。

ワイナリーの増加と多様化


2000年代に入ると、自分で栽培したブドウでワインを醸造しようとする生産者が増加し、長野県や北海道でワイナリーの設立ラッシュが続いています。こうしたワイナリーは小規模なものが多く、他業種から参入するケースも見受けられるようです。また、近年での動きでは、山梨・長野・山形・北海道の主要産地以外でワイナリーが増加傾向にあります。今では東京都にもワイナリーが誕生しており、都市型のワイナリーとして話題を集めています。最近では、レストランを併設しているワイナリーも増え、更には温泉や宿泊施設も備えたものも存在するようです。

日本でワイン造りが始まって約140年。日本のワイン造りは大きな変化を迎えると同時に、個性的かつ魅力的な新しいワインが次々と誕生する兆しが見られそうです。

日本の主なワイン生産地


山梨県

言わずと知れた日本のワイン産業の大黒柱。生産量、ワイナリーの数ともに日本随一で、国内のワイナリーの約25%が山梨に集中しています。ブドウの栽培地やワイナリーは甲府盆地の北東部に多く集まっており、ワイン造り発祥の地「勝沼」もここに位置しています。また、山梨県には大手の洋酒メーカーやビールメーカーのワイナリーが全て揃っている一方で、地元資本の中規模ワイナリーや、夫婦で営む小規模ワイナリーまで、多種多様なワイナリーが数多く営まれています。主な生産品種は「甲州」と「マスカット・ベーリーA」。

長野県

2013年に「信州ワインバレー構想」を発表した長野県。これは「千曲川ワインバレー」「日本アルプスワインバレー」「桔梗ヶ原ワインバレー」「天竜川ワインバレー」の4つのワイン産地の形成を目指すというものです。ブドウ畑を拓く為の支援や、ワイナリーを設立しようとする人へのアカデミーの開催、そして栽培醸造家を育成する為の専門学校が誕生するなど、積極的な後押しが見られます。主な生産品種は「コンコード」と「ナイアガラ」ですが、塩尻市桔梗ヶ原の「メルロー」が高い評価を受けています。その他にも「カベルネ・ソーヴィニヨン」や「ピノ・ノワール」、「ソーヴィニヨン・ブラン」「シャルドネ」などといったヨーロッパ系の品種も増加していて、これからの長野ワインとして期待されています。

北海道

現在、ワイナリーの設立が最も活発な地域の一つ。広大な畑が多く、見渡す限りブドウ畑が広がる壮大な光景は圧巻の一言に尽きます。栽培地やワイナリーは北海道の西側、後志(しりべし)地方と空知(そらち)地方に集中しており、今もなお増加する傾向にあるようです。主な生産品種は「ナイアガラ」と「キャンベル・アーリー」。冷涼な気候からか、「ケルナー」や「ミュラー・トゥルガウ」、「ツヴァイゲルトレーベ」などといった、ドイツ系の品種も生産されています。

山形県

東北の中でもワイン造りの歴史は長く、明治中期には既にワイン醸造が始まっていたと言われています。昼夜の寒暖差が大きく、極めて上質な「デラウェア」が生産されています。栽培地やワイナリーは山形盆地にある天童市、上山(かみのやま)市、置賜(おきたま)盆地の南陽市赤湯、高畠町に集中しており、2016年には上山市と南陽市はワイン特区に認定されています。主な生産品種は「マスカット・ベーリーA」と「デラウェア」。

日本で栽培される主なブドウ品種


<赤ワイン用ブドウ品種>

マスカット・ベーリーA

前述の川上善兵衛が生み出した品種の中で、最も成功した品種。日本の赤ワイン用品種の中で最も多く生産されています。ワインは甘いキャンディやイチゴのような香り、渋みがマイルドなものが多く見られます。最近は長期樽熟成のものも増加中です。2013年にはOIV(国際ブドウ・ブドウ酒機構)に登録されています。

メルロー

フランスの銘醸地、ボルドー地方で主力の品種。日本では、ヨーロッパ系の品種の中で「シャルドネ」に次いで2番目の栽培面積を誇ります。以前の日本のメルローはやや青い香りのものが多かったようですが、最近は熟した果実香で柔らかな味わいの、日本らしいメルローが増えてきています。

ピノ・ノワール

ブルゴーニュの銘醸ワインを生み出す品種。この品種に魅せられて虜になってしまう造り手も多いようです。2000年代以降、北海道や青森、長野などの気候が冷涼な地域で栽培が増加しており、ここ最近では最も盛り上がりを見せています。

<白ワイン用ブドウ品種>

甲州

やや薄い藤紫色が特徴の日本唯一の伝統品種。来歴は不確かで諸説存在しますが、約1000年近く山梨の地で栽培されてきました。栽培されている土地の違いや生産者によって収穫時期も異なり、甲州ワインは様々なスタイルに仕上がります。2010年、日本固有の品種として初めてOIV(国際ブドウ・ブドウ酒機構)に登録され、輸出時にラベル上で品種名表示が可能になりました。

デラウェア

明治時代にアメリカから伝わり、1886(明治19年)に山梨県奥野田村(現甲州市奥野田)で栽培が始まった品種。生食用のイメージが強い印象がありますが、ワインとして仕込まれる量は、実は5番目に多い品種です。近年ではこの品種から造られるスパークリングワインが急増しています。

2 件中 1-2 件表示 


2 件中 1-2 件表示 



128 件中 1-20 件表示  1 2 3 4 5 6 7 次のページへ最後のページへ






















128 件中 1-20 件表示  1 2 3 4 5 6 7 次のページへ最後のページへ