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商品番号 W-CH18100316
価格15,180円(本体価格:13,800円)
[138ポイント進呈 ]
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ジェームズ・ボンドの「公式」シャンパーニュ
このワインについて
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ジェームズ・ボンドの「公式」シャンパーニュ
このワインについて
この独立したシャンパーニュ・ハウスは、19世紀初頭より鑑定家のリストに載っていました。ピノ・ノワールに比重を置いたブレンドにより、ヘビーなワインに仕上がっており、批評家たちも90と100ポイントの間の得点をつけるほどの仕上がりです。そして、ジェームズ・ボンドが数々のシリーズで飲むジェームズ・ボンドの「公式」シャンパーニュです。生産者について
ボランジェの歴史は、貴族家系の末っ子として生まれたアタナズ・ドゥ・ヴィレルモンによって始まります。軍人としてアメリカ独立戦争で活躍し、脚光を浴びたアタナズは、家族の財産であったアイ村周辺にある広大なブドウ畑を相続します。アタナズはすぐにこの畑がシャンパン造りに最適なポテンシャルを備えていることに気づくものの、貴族という立場から商売を行うことが憚られていました。そんな折、アタナズはシャンパン事業を行うために生まれ故郷のドイツを離れたジョゼフ・ボランジェ、そしてワインに魅了された生粋のシャンパーニュ人ポール・ルノダンと出会います。
1829年2月6日、アタナズはこの二人と共に「ルノダン・ボランジェ」として会社を設立しました。ジョゼフは販売を、ポールは製造を担当し、アタナズはこれから何世紀も続いていくこのシャンパーニュ・メゾンの出資者となりました。
1837年、ジョゼフ・ボランジェはアタナズの娘ルイーズ・シャルロットと結婚。彼らの息子達であるジョゼフ、次にジョルジュが会社を受け継いでいきます。
フランス全土に膨大な被害をもたらしたフィロキセラ(ブドウネアブラムシ)、そして第一次世界大戦の動乱を乗り越えながら、彼ら兄弟はボランジェの名声を高めていき、ブドウ畑もさらに拡大させていきました。
1920年には、ジョルジュの息子ジャック・ボランジェがメゾンを継承します。若干24歳だったジャックにとっては大変な責任でしたが、大変優秀だったいとこ達の助けにも恵まれ、ジャックはなんとか奮闘します。ボランジェは、この家族の結束力によって大きく会社を成長させていったのです。
さらに、ジャックには優雅な身のこなしがあり、教養も備え、英語も流暢に操っていたので、イギリス市場の開拓を進めることに成功します。こうして世界恐慌、第二次世界大戦という歴史の大きな苦難を乗り越え、メゾンはさらに大きく成長し、さらにジャックはアイ村の村長としても活躍し、村を守りました。