ドメーヌ・ルロワは、ルロワ社が所有する畑で栽培したぶどうを使用し、ワインを醸造、瓶詰め、販売しています。ラベルには「Mis en bouteille au Domaine Leroy Vosne-Romanee (Cote-d'Or)」と記載されています。基本的にドメーヌ物の方が希少性が高いため、値段もハイレンジのものが多くなります。
一方、ネゴシアンであるメゾン・ルロワは、ルロワ社が契約するぶどう農家から買い付けたワインを使って醸造します。ラベルには「Mis en bouteille par Leroy Negociants a Auxey-Meursault (Cote-d'Or)」と記載されています。
ルロワ
LEROY
ロバート・パーカーから100点満点を受けるワインを次々と産み出す、ブルゴーニュ至高の一流生産者「ルロワ」。ワインにかける情熱とあくなき探究心を持ち続け、テロワールを忠実に表現した最上のワインを産み出す、偉大な造り手です。1868年、オークセイ・デュレスにて設立
メゾン・ルロワは、今から約150年前となる1868年、初代当主のフランソワ・ルロワによって、オークセイ・デュレスに設立されたネゴシアンです。
今ではブルゴーニュを背負って立つほどのグランメゾンとなっていますが、設立当初からその実力は目を見張るものがありました。メゾン・ルロワは、ブルゴーニュ最高品質のぶどうを追い求め、ネゴシアンとしての実績を着実に積んでいきます。
フランソワの孫にあたるアンリ・ルロワが事業に参画したのは1919年のこと。 アンリ・ルロワは実業家としての才能に恵まれ、オー・ド・ヴィー・ド・ヴァンを造る工場や、蒸留所などを設立、輸出事業を行うなど、家業を多角化していきます。
DRCの共同経営者に
1942年には、かの有名なDRC(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ)の共同経営者となります。アンリは、自身の経験をもとに、優れた経営手腕と熱い情熱を注いで、当時広範囲でフィロキセラの被害にあったDRCの経営再建を行っていきます。懸命な努力が実り、アンリはDRCを見事立て直すことに成功。これにより、ルロワの名を全世界に轟かせることとなります。
ラルー・ビーズ・ルロワ女史の登場、ドメーヌ・ルロワの誕生
現当主のラルー・ビーズ・ルロワは、1955年にルロワ社に参画、1974年にDRC社の役員に就任しました。アンリ・ルロワが亡くなった1980年にはルロワ社の全ての経営権を持つようになり、さらに、1988年には、自身のドメーヌ、ドメーヌ・ルロワを設立します。
ドメーヌ・ルロワ設立時には、旧シャルル・ノエラの畑を、翌年にはドメーヌ・ルイ・レミーの畑を購入し、現在のドメーヌの基礎が出来上がりました。
ドメーヌ・ルロワとメゾン・ルロワ
ルロワには、ドメーヌ物とネゴシアン物という大きく分けて2種類のワインが存在します。
ドメーヌ・ルロワは、ルロワ社が所有する畑で栽培したぶどうを使用し、ワインを醸造、瓶詰め、販売しています。ラベルには「Mis en bouteille au Domaine Leroy Vosne-Romanee (Cote-d'Or)」と記載されています。基本的にドメーヌ物の方が希少性が高いため、値段もハイレンジのものが多くなります。
一方、ネゴシアンであるメゾン・ルロワは、ルロワ社が契約するぶどう農家から買い付けたワインを使って醸造します。ラベルには「Mis en bouteille par Leroy Negociants a Auxey-Meursault (Cote-d'Or)」と記載されています。
ドメーヌ・ルロワとメゾン・ルロワのワインは、ラベルが非常に似ているためパッと見の印象では違いがわかりづらいことがあります。そんな時は、キャップをみてみましょう。ドメーヌ物は「赤いキャップ」、ネゴシアン物は「白いキャップ」となっているので、簡単に見分けがつきますね。
なお、ルロワ社とは別に、ラルー・ビーズ・ルロワと夫のマルセル・ビーズが経営する「ドメーヌ・ドーヴネ」もあります。ドーヴネでは、ラルー・ビーズ・ルロワ個人が所有する畑からワインを造っています。
現当主ラルー・ビーズ・ルロワ女史
ルロワを語る上で、今日のルロワの立役者でもあるラルー・ビーズ・ルロワ女史を欠かすことはできないでしょう。
ラルー・ビーズ・ルロワ(マダム・ルロワ)は、父アンリ・ルロワから絶大なる信頼を寄せられるほど、若いうちからワインにかける類稀な情熱と才能を持った人物でした。テロワールの本質を見事に捉えた、ブルゴーニュ1ともいわれる天才的なテイスティング能力を武器に、常に最高の品質を追い求めていき、家業であるメゾン・ルロワの名声を不動のものにします。
一方で、当時優良な栽培農家たちが次々にドメーヌを立ち上げ、高品質なぶどうの確保が難しくなってきた背景や、DRCの共同経営の難しさなども感じていたようです。勝気な性格で、ワインに対しては非常なストイックな姿勢でもあるマダム・ルロワ。しがらみなく自分が思った通りのワインを造りたいと思うようになり、ついには自身のドメーヌ立ち上げに踏み込みます。
ドメーヌを立ち上げ自社畑を持った後は、ブルゴーニュエリアではいち早くビオディナミ農法を導入しています。栽培にも徹底的にこだわり、驚くほどの低収量、最上のぶどうをだけを収穫して、ワイン造りに取り組んでいます。
残念ながら、1992年にはDRCの共同経営者から退くこととなりました。しかし、ドメーヌ・ルロワは、各国の評論家からもDRCと並ぶほどの賞賛を得るようになり、かのロバート・パーカーも、マダム・ルロワに対し、「私は、ラリー・ビーズ・ルロワほどブルゴーニュの偉大な伝統を守ることにこだわっている人物に逢ったことがない。」 と語っています。
マダム・ルロワは、その情熱でブルゴーニュで最も偉大なるワインを産み出し、トップ生産者への階段を着実に登っていっているのです。
ルロワの畑、栽培・醸造
現在、ドメーヌ・ルロワは次の11のグラン・クリュ(特級畑)を所有しています。
コルトン
コルトン・シャルルマーニュ
ロマネ・サン・ヴィヴァン
リシュブール
クロ・ド・ヴージョ
ミュジニー
クロ・ド・ラ・ロッシュ
ラトリシエール・シャンベルタン
リュショット・シャンベルタン
シャンベルタン・クロ・ド・ベーズ
シャンベルタン
そのほか、多くのプルミエ・クリュからブルゴーニュ・ルージュまで、レパートリーに富んだラインナップがあります。
前述の通り、ドメーヌ・ルロワにおいてはビオディナミ農法を実践。また、全てのワインにおいて、テロワールの個性をいかに表現するかを追求し、醸造に取り組んでいます。
収穫したぶどうは、ルロワ特有の濃い色調とアロマを形成するため、徐梗はせずに木製の発酵槽にて長期間の浸漬を行います。熟成は100%新樽で行なわれ、無濾過・無清澄で樽ごとに瓶詰めされています。
最上の畑から生まれた、格調高い最上のワイン。良いヴィンテージのものは20〜30年以上の熟成にも悠に耐える事が出来ます。