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シャトー・ディケム
Chateau d'Yquem
単なる貴腐ワインという枠では到底収まらない、特別な存在であるシャトー・ディケム。ソーテルヌの格付けでも1シャトーだけ別格扱いされている他、ディケムが世界中の甘口白ワインの中で最高のワインだということに、異論を挟む人はいません。
長期熟成に耐えることから、度々100年以上熟成されたシャトー・ディケムが、オークションで高値で取引されたというニュースも度々耳にします。その中には1800年代のディケムもあり、そのワインがまだ存在し、飲める状態にあることに、神秘的な雰囲気さえ感じます。
シャトー・ディケムの歴史
シャトー・ディケムの歴史は、4世紀前まで遡ることが出来ます。数々の波乱の出来事、そして魅力ある多彩な後継者達によって、まるで小説を読んでいるかのような歴史を歩んできています。
シャトー・ディケムは、言うまでもなく、世界中を魅了する甘美なフランスワイン、そしてそのフランスの威光にこれからも貢献し続けるシャトーの一つです。しかしこのフランスが誇るシャトー・ディケム、もしかするとイギリス(イングランド)のものになっていた可能性もありました。その昔、中世の時代はもともとイングランド王(=アキテーヌ公)の所有物だったからです。
しかし1453年、フランス国王であるシャルル7世によってこの地域をフランスに併合、歴史の流れがシャトー・ディケムをイングランド王の所有物とはさせませんでした。その1世紀半後の1593年、その土地の有力者の一族だったジャック・ソヴァージュにディケムの管理・使用権を貸与されます。
余談ですが、シャトー・ディケムとジロンド県(ボルドー地方のある県)に残る資料によると、この時代においてすでに、独自のぶどう栽培方法、およびぶどうの「遅摘み」が行われていたということです。
管理を貸与されたその数年後、ソヴァージュ家は城館(シャトー)の建設を開始し、少しずつ丹念に区画を選別しながら現在のぶどう畑を作り上げていきました。そしてルイ14世の統治下の1711年、ソヴァージュ家は貴族に叙され、ディケムのぶどう農園全権限を譲り受け、オーナーとなりました。
フランソワーズ・ジョセフィーヌ・ドゥ・ソヴァージュ・ディケムは、ルイ・アメデ・ドゥ・リュル=サリュス伯爵と1785年に結婚します。しかしその3年後の1788年、伯爵は落馬によって死亡してしまいます。
若くして未亡人となったフランソワーズ・ジョセフィーヌは、ソヴァージュ・ディケム家の家長としてディケムの責任者となり、ワイン生産・経営管理において類い稀な才能を発揮することになります。そして彼女の元で生産されたワインは、当時すでに、ワイン愛好家から高い評価を受けていました。
フランス革命のあおりを受け2度の投獄を味わうも、決して負けることなくフランソワーズ・ジョセフィーヌは家族の財産であるディケムのワインを守り抜き、そして繁栄させていきます。1826年、ワイン農家として当時はとても斬新だった、ぶどう栽培およびワイン製造の完全事業化を確立し、国際的な評判を高めていきます。そしてこの頃からすでに、ぶどうの選別を丁寧かつ丹念に行う収穫方法を行っています。
1855年、ソーテルヌの格付けで唯一の「特別1級」に
はじめは、単に受け継いだ家族の所有物のワイン農家だったディケムは、フランソワーズ・ジョセフィーヌの孫であるロマン・ベルトランによって世界的に認められるようになります。
1855年、パリ万博を開催したナポレオン3世は、これを機にボルドーワインの格付けを行いました。この時制定されたのが、赤ワインのメドック地区の格付けと、甘口白ワインのソーテルヌの格付けです。このソーテルヌの格付けで、ディケムは唯一の「特別1級」に格付けされます。
既に名声を得ていたディケムのワインですが、それを味わおうと瞬く間にヨーロッパの人々によって広まって行きました。世界に門を開いたばかりの明治時代の日本も、ディケムのワインを購入していたと言われています。
フィロキセラ、戦争を乗り越え、現在はLVMHの所有に
ロマン・ベルトランの死後は、その息子へ、そしてさらにその弟ウジェンへ引き継がれていきます。この時期、ディケムは歴史的にも大きな二つの出来事に見舞われてしまいます。フランス全土に広がったフィロキセラ(害虫)被害と第一次世界大戦です。
軍の将校だったウジェンの息子ベルトランは、1914年の戦時中、ディケムの城館を軍事病院として利用できるようにしました。そして戦争も終わりになると、家族が守ってきた伝統とディケムの哲学を大切にしていたベルトランが、その後ディケムを引き継ぎます。ディケムのワインに補糖することには強く反対し、1930年代の世界的経済不況の最中においてもディケムのワインを守ります。
子供のいなかったベルトランは、1966年以降は甥にあたるアレクサンドルにディケムの経営を譲渡します。若きアレクサンドルにとって、総責任者としてのスタートは容易なものではありませんでした。ぶどうの出来が悪い年が続き、ワイン商の大規模な危機、そして莫大な相続税を課せられるなど、ディケムの生き残りすら危ぶまれました。
しかし、アレクサンドルは厳格な財政見直しを行い、さらには1975年の素晴らしいヴィンテージに恵まれ、ディケムは救われます。80年代にも良いぶどうの収穫年に恵まれ、新たな投資も実現させていきます。
そして、ワイン生産者として世界的評価を得続けているシャトー・ディケムは、20世紀の終わりにはLVMH(モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン)のベルナール・アルノーによって、同グループの傘下に入りました。これからは、新しいページがディケムの歴史の中に描かれていくことでしょう。
シャトー・ディケムのテロワール
ディケムのあるソーテルヌ地区はミクロクリマの影響を強く受ける地域でもあり、ワインの生産には理想的な場所です。ディケムのテロワールは、まさにこれらの自然環境の均衡を見事に備えているのです。
113ヘクタールに渡るディケムのぶどう畑の土壌には、ソーテルヌの最良な全要素が集中していると言えます。表土にある大粒の砂利(グラーヴ)は、熱を保持することを可能にし、下の層にある浸透性が低い粘土質の土壌によって、水分を溜めることが出来ます。
そして、はるか昔の19世紀から、ディケムは100kmにも及ぶ排水システムを管理。これらの多様な条件のもと、最終的に複雑性を持つ優美なディケムのワインを生み出しています。
シャトー・ディケムの栽培、収穫
113ヘクタールあるうち、実際にぶどうを栽培している面積は100ヘクタールほどになります。ディケムの栽培方法はたいへん厳格で、毎年2〜3ヘクタールほどは古くなりすぎたぶどう木を植え替えるため休耕させているからです。そして、その畑に新しく植えられたぶどう木が、ワインを作るためのぶどうを生み出すまでに、最低5年という年数をかけるためです。
シャトー・ディケムは自然環境保護への意識がとても高く、昔から変わることなく伝統的な耕作方法でぶどう栽培を行っています。土壌の自然な均衡を保持するため堆肥のみを使用、化学物質の入った除草剤を使用することも絶対にありません。
冬の始め、ぶどう栽培に携わる人々によって厳格に、そして丁寧にぶどう木は剪定され、ぶどうの熟成を最大限に引き出せるようにします。
200人を動員し、ブドウ一粒一粒を選果
ボトリティス・シネレア(カビ、貴腐菌)は果皮に菌を感染させることによって、果皮を褐色に変色させ、ぶどうに含まれる水分を蒸発させやすくします(貴腐化)。それによって潜在アルコール度数が18度から30度になるレベルまで果肉の糖分を凝縮させることも可能です。
しかしこのボトリティス・シネレアはカビですので、厳重な管理をしなければ、ぶどうをすべて台無しにしてしまう可能性もあります。ディケムは、ここに多くの人員を投入し、一粒一粒のぶどうを丁寧に管理し、収穫することに惜しげない努力を注いでいるのです。
ディケムでは、潜在アルコール度数が20度になる果汁を得られるようにぶどうを管理しています。この糖分の凝縮を自然の力で得るためには、冬に近づくにつれて全収穫を台無しにしてしまう可能性もあるほどの危険を伴うため、慎重にぶどうを管理し、収穫の絶妙なタイミングを見極めなければなりません。
収穫の時期が来ると、200人もの人員を増やし、ぶどうの粒を選定する作業に投入します。最高の状態で糖分が凝縮し、貴腐化したぶどうの粒を選定するためです。
シャトー・ディケムのブドウ品種
ディケムのぶどう畑には二つのぶどう品種、セミヨン(75%)とソーヴィニョン・ブラン(25%)が栽培されています。セミヨンはリッチで芳醇、骨格とボリューム感をもたらし、早熟なソーヴィニョン・ブランによってアロマと繊細さが加わります。
シャトー・ディケムの醸造
ディケムの最大の特徴の一つは、ワイン醸造において大変重要な「アルコール発酵」を樽で行うということです。使用される樽は、フランス中東部の森で採れる良質で高価なフレンチオーク材で作られた新樽のみというこだわりです。
ディケムでは、収穫されたぶどうをその日の分だけで樽発酵を行い、アルコール発酵が行われている全ての樽は、毎日一つ一つチェックされます。6ヶ月から8ヶ月後の翌年の春、1回目のブレンドを行い、それをさらに20ヶ月間樽で熟成します。そして、ブラインドテイスティングによって最終的なブレンドを行います。3回目の冬を迎える頃に、厳しく管理された条件のもと、最良の技術によって瓶詰めをし、シャトー・ディケムのワインは世界中に飛び立っていく準備ができるのです。
シャトー・ディケムの熟成
ディケムのワインは、20年、50年、そして100年以上と、長期間に渡ってその美しい味わいを失うことがありません。そのアロマは歳を重ねるごとに複雑性を増し、徐々に繊細な味わいへと進化していきます。その色は、まるで夜明けの薄明かりから夕暮れの黄昏の空へ変化していくように、まばゆい黄色から、艶のある琥珀がかった金色へと変化していきます。
卓越した甘美なディケムのワインは、世界中の人々を中世の昔から、そしてこれからも魅了し続けていくのです。