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オークセイ・デュレス Auxey-Duresses

南北に縦長に伸びる、黄金の丘と言われるブルゴーニュのコート・ドールのワイン生産地。その中でムルソーあたりで唯一西側に飛び出して存在しているのが、このオークセイ・デュレスとサン・ロマンです。オークセイ・デュレスのブドウ栽培の歴史は古く、紀元前2世紀頃には既に栽培がスタートしていたと言われています。

オークセイ・デュレスは発音が難しく、日本語だと「オークセイ」ではなく「オーセ」や「オークセ」などと表記されることもあり、海外受けしやすいワイン名の特徴である、発音のし易さや短さといった点では不利な地名です。今でこそ村名アペラシオンとして立派に認識されていますが、かつては「貧者のヴォルネイ」と言われていた時期もあり、オークセイ・デュレスという村名を嫌い、敢えて格下ながら名の知れた「コート・ド・ボーヌ・ヴィラージュ」でワインをリリースしていた生産者もいたほどでした。

とはいえ現在では、隣接するモンテリーやサン・ロマンといった村に比べると知名度は高く、ムルソーやヴォルネイ、ポマールといった村に比べるとまだ知名度は劣りますが、コート・ド・ボーヌの中では独立した村名アペラシオンとして、一定の評価を得ています。以前の評価を引きずっているのか、価格的にはまだ他の有名な村名ワインより安く買える場合が多く、ブルゴーニュの中でも掘出し物の産地として人気も高まってきています。

白ワインの銘醸地であるムルソーや、白ワインの評価の高いサン・ロマンに挟まれていながら、ワインの構成は赤ワインの比率が高く、3分の2は赤ワインが占めます。

オークセイ・デュレスの主なプルミエ・クリュ(一級畑)


オークセイ・デュレス全体の畑約130ヘクタールに対し、プルミエ・クリュは約29ヘクタールと、村名アペラシオンが多くを占めます。グラン・クリュ(特級畑)はありません。

レ・ブレトラン(Les Breterins)
ラ・シャペル(La Chapelle)
クリマ・デュ・ヴァル(Climat du Val)
クロ・デュ・ヴァル(Clos du Val)
レ・デュレス(Les Duresses)
バ・デ・デュレス(Bas des Duresses)
レ・ゼキュソー(Les Ecussaux)
レ・グラン・シャン(Les Grands Champs)
ルニュ(Reugne)

オークセイ・デュレスの主な生産者


メゾン・ルロワ

今やDRC(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ)と並び、「泣く子も黙る存在」である、伝説的な生産者であるルロワ。現在はヴォーヌ・ロマネに本拠地を置くものの、メゾンの発祥はこのオークセイ・デュレス。

1868年にフランソワ・ルロワ氏がオークセイ・デュレスでネゴシアンを立ち上げたのが歴史の始まり。その後、アンリ・ルロワ氏が1942年にDRCの所有権の半分を購入し、ブルゴーニュでの確固たる地位を築き上げました。

現在当主を務めるラルー・ビーズ・ルロワ女史は、徹底したビオディナミの実践やワイン造りに対する厳しさで完璧主義者として有名。ワインはネゴシアンもの「メゾン・ルロワ」と、ドメーヌものの「ドメーヌ・ルロワ」、そしてマダムが個人所有する「ドメーヌ・ドーヴネ」があります。ドーヴネは生産量の少ない貴重なワインですが、オークセイ・デュレスにも複数の畑を所有しています。

バンジャマン・ルルー

ポマールの有名ドメーヌであるコント・アルマンで15歳の頃から働き、ビオディナミの実践など、醸造責任者としてコント・アルマン地位を高めてきましたが、2007年から自身の名前を関したワインをネゴシアンとしてリリースをスタート。オークセイ・デュレスでも、白ワイン用の畑を所有し、ビオディナミによる耕作を行っています。

アニェス・パケ

2001年創業と歴史は浅いながらも、そのピュアさと染み出る旨味から、フランス国内の星付きレストランへの採用も相次ぐオークセイ・デュレスの新星。「美味しい料理を引き立て、ガストロノミーに愛されるワインを造りたい」という、女性であるアニェス氏の思いがワインに表れています。