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リッジ・ヴィンヤード

Ridge Vineyard


ワインの産地といえば、フランスやイタリアばかりが思い浮かばれるかもしれませんが、世界トップクラスのワインの産地として、米国のカリフォルニアも決して忘れてはいけません。そんな米国カリフォルニア州随一のワイナリーとしてその名を轟かせているのが、リッジ・ヴィンヤード。

リッジをその地位に押し上げたのは、2015年「醸造家が選ぶ最も尊敬する醸造家」に選ばれた天才醸造家のポール・ドレーパーの功績に他なりません。今やアメリカ国内のみならず、欧州の生産者からも憧れの存在として君臨しています。

現在のリッジヴィンヤードの前身


1885年、医者のオセア・ペローネが、カリフォルニア州モンテベロの尾根に、現在のリッジの生産施設でもある「モンテベロ・ワイナリー」の土地を購入したのが始まりです。当時ペローネは、この購入した土地を段々畑にし、葡萄を生産しました。

そして、この土地でワインを初めて生産したのが、土地購入から7年後の1892年のこととなります。このペローネは当時のサンフランシスコイタリア人社会の名士と呼ばれた人物である。1940年代に入ると、ペローネの畑のすぐ下にあったワイナリーとブドウ畑を購入し、ここにカベルネ・ソーヴィニョンを植えなおしたのが、神学者のウィリアム・ショートです。

スタンフォード大の研究員3名による共同経営ワイナリー


さらに約20年後の1959年、デイヴ・ベニオン他3人の共同経営者が、この土地の新しい所有者となりました。この3名は共にスタンフォード大の研究員です。

この後彼らが、この畑で「自社畑産カベルネ」を造ることとなり、このモンテベロ産カベルネが、この同時期のカリフォルニアワインで最高クラスの出来栄えとなりました。この頃から1962年までの間、この3名のグループがワインを生産し続け、どれもかなりのレベルのワインが出来上がりました。同時に1962年、彼らはワイナリーを再設立しなおしました。その流れから、彼らのワイナリーは1968年には年間3000ケースにまで生産量を増やしたのです。

現在のリッジの総帥ポール・ドレーパーが参画


そうして、翌年の1969年に現在のリッジの総帥である、ポール・ドレーパーが新たにワイナリーの経営に加わることになります。

彼のスタンフォード大の専攻は哲学で、醸造学の教育を特に受けていたわけではありませんでした。あくまでワイナリーでの実践で学んだ醸造家ということになります。しかし、彼の高級ワインに対する知識と伝統的な手法に拘るスタンスにより、「人手を加えない」というシンプルなスタイルがワイナリーの特色を色濃くしていきます。

その後、かつてのペローネの時代の畑が老朽化したことで、ドレーパーは新たな葡萄畑を賃借・購入し、ここで国際的に評価を受けるレベルのワインを安定して造り続けることに成功しました。

リッジ・ヴィンヤードのワイン醸造法のこだわり


リッジのワイナリーでは、カベルネとジンファンデルの生産量の割合が多いものの、シラー、グルナッシュ、カリニャン、ペティト・シラーなどもわずかながら生産しています。赤ワインのワイナリーとしてその名を馳せるリッジですが、1962年のワイナリー再設立以来、ごく限られた量のシャルドネの白も生産しています。

リッジでは、カリフォルニアの地元のワインがどんどん「工業的」(添加物や人工的な手が加わること)になっており、ワイン造りにその土地らしさ、熟成・などの要素が欠けていると感じていました。そこで、あえて昔のワイン造りに戻ってみたのです。過去の伝統と現在のスタイルを統合する形で、「前・工業的」な技術を採用して、現代の設備とうまく繋げていきました。

これから50年近くリッジはこのスタイルを貫いています。最高レベルの畑を持ち、「その土地らしさ」をワイン造りに出すことにこだわり続けました。そうしてできたワイン造りの特徴は、人工的な酵素の力は使わず。畑から純粋に齎された酵母のみを使って発酵することです。また、、葡萄から色、風味、タンニンなどを引き出し、ルミアージュの調整でタンニンを抽出すること、また、培養された乳酸菌も使わず自然なマロラクティック発酵が起きるようにしていることが挙げられます。

カリフォルニアワインが欧州に勝利した瞬間


カリフォルニアワインを語る上で繰り返し引用される、通称「パリスの裁判」というワインテイスティング。1976年、この「パリスの裁判」で、カリフォルニア産ワインと、フランス産のブラインド・テイスティングが行われ、赤・白両方の部門でカリフォルニアワインが1位になりました。

当時のフランス人鑑定家達は「フランスワインは飲み頃になるまで時間がかかる。カリフォルニアワインが30年熟成させた状態は、とてもフランスのものには勝てないだろう」とこぞって批評しました。

それから、30年後、今一度同じ環境で再戦が開かれ、30年間熟成させた両ワインを比較することになったのです。結果は驚くべきことにリッジのワインが2位を大きく引き離す結果をもたらしました。

また、2013年ヴィンテージワインの「モンテベロ」がデカンター誌より初のパーフェクトスコアとなる100点を獲得し、リッジワイナリー初の快挙となったのです。

リッジ・ヴィンヤードと日本企業の縁


現在世界中のワイン専門家から数々の賞賛を受けるリッジの総帥のポールドレーパー氏。彼は、2015年英国の権威あるワイン専門誌『デカンター』が「醸造家が選ぶ最も尊敬する醸造家」のトップ5に選ばれており、文字通り、彼は世界を代表する醸造家の一人です。

1986年から同社とのM&Aにより、日本の大塚製薬が同社の権利を所有し、約30年近くにわたり、リッジワイナリーのスポンサーオーナー企業を務めています。ワイン好きで知られる同社社長の大塚明彦氏のほぼ独断で買収が決まったとされ、オーナー企業だからと威圧的に経営の効率化の考えに添ってワイン造りを押し付けることなく、ポール・ドレーパー氏の伝統製法を重んじる意向に添ったワイン造りに集中をさせる環境をつくることで、今日のリッジ・ヴィンヤードのワインの価値を一層高める結果となっています。

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