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ディディエ・ダグノー

Didier Dagueneau

ディディエ・ダグノーという人物を表現するのに「天才」という言葉では足りないのか、異才、鬼才、異端児という形容詞が並びます。ソーヴィニヨン・ブランという個性的な品種を、白ワインとして芸術的なレベルに押し上げたディディエ・ダグノーですが、彼自身の人生こそが芸術作品といえるかもしれません。

ロワールから生まれた世界的ワイン


ロワール川は、フランス南部の中央高地を源流とする全長1000キロメートルを超える大河です。川は南仏からカーブを描くように北上し、オレルアンの辺りでやや南下、河口の街ナントで大西洋に注ぎます。ロワール川の両岸はワインの銘醸地として知られており、中央フランス地区からナント地区までAOCワイン産地が続きます。2〜3世紀頃からワイン造りが行われていたという記録があるほど歴史の古い生産地です。

ロワールではミュスカデやソーヴィニヨン・ブランから造る白ワインが有名です。爽やかで飲みやすく人気がありますが、ボルドーやブルゴーニュのようなブランド力はないため、長い間ワイン産地としてはBクラスに位置づけられてきました。

ヒッピーな風貌の天才ワインメーカー


この凡庸な産地に一人の天才が生まれます。AOCロワールの最も上流、アペラシオン・プィィ・フュメの中の小さな村で、1956年にディディエ・ダグノーは生まれました。実家は代々ワイン造りをしていましたが、父親と折り合いの悪かったディディエ・ダグノーは、学校を出ると家を飛び出します。

後に「ロワールの異端児」と呼ばれるディディエ・ダグノーは、若い頃から破天荒でユニークな感性を持っていました。そんな彼が選んだ職業はバイクレーサー。過酷なレースの世界に身を投じ、数年後にはレーサーとして生計を立てられるまでに成功します。

ところが1982年、突如ディディエ・ダグノーは家業のワイナリーを継ぐため、実家のプィィ・フュメに戻ります。何が彼にそう決断をさせたのか、心の内を推し量ることは難しいですが、その後ディディエ・ダグノーはワイン造りに没頭し、人生をワインに捧げます。

抑圧的なバイクレースの世界から解放されたかのように、ディディエ・ダグノーは自然体でワイン造りに取り組みました。肩まで伸びたボサボサの髪にバンダナを巻き、顎にはサンタクロースのように髭がもじゃもじゃ生え、服はネルシャツにオーバーオール。大きな体をしたディディエ・ダグノーは、いかついロック歌手のようですが、笑うと少年のように愛らしく周りの人を惹きつける魅力がありました。

石器時代から続くテロワール


ディディエ・ダグノーは、ブルゴーニュの巨匠アンリ・ジャイエやボルドー大学のドゥニ・デュブルデュー教授らを師と仰ぎ、彼らの指導に従い最先端の醸造法をドメーヌに取り入れました。1993年からブドウ栽培にヴィオデナミを採用し、ブドウ選別のため手作業で剪定を行いました。醸造面では新樽を使った熟成にも挑戦します。

ディディエ・ダグノーの代表作は、1985年に初リリースした「シレックス」。シレックスはラベルに描かれた先の尖った石の名前です。石器時代に刃物の原料として使われていた鉱石で、現在もシレックスはディディエ・ダグノーの畑に散在しテロワールの一部を構成しています。

シレックスはソーヴィニヨン・ブラン100%にもかかわらず、トロッとした舌ざわりとはちみつのような濃厚な香り、そして強じんなミネラル感を持ちます。一般的なロワールのソーヴィニヨン・ブランはピーマンのような独特のアロマがあり、華やかな香りのニュージーランド産の人気に押され気味でしたが、ディディエ・ダグノーは、前例を打ち破る数々の挑戦により、ロワールのソーヴィニヨン・ブランに対するイメージを打破することに成功したのです。

永遠の命を得たシレックス


2008年、ディディエ・ダグノーは自家用飛行機で畑を飛びたった直後にエンジントラブルで炎上墜落し、52才という若さで亡くなりました。このニュースは世界中のワイン関係者とディディエ・ダグノーのファンに衝撃と悲しみを与えました。異色の経歴、個性的で愛嬌あるキャラクター、ワイン造りのための不断の挑戦、そして飛行機事故という突然の結末に、皆、言葉を失ったのでした。

天才ディディエ・ダグノーを失った後、銘酒シレックスの将来を心配する声がありましたが、彼の息子やスタッフが、ディディエ・ダグノーの遺志を継いでワイン造りにはげみ、近年その評判は周囲の期待を上回るほど。

ディディエ・ダグノー氏亡き後も続いていくことが証明されたシレックス。そのワインがこれからも永遠に継がれていく事を、皆期待しています。