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クロ・オー・ペラゲ

Clos Haut-Peyraguey

クロ・オー・ペラゲの歴史


1879年まで、この畑は1855年のソーテルヌ・バルサック格付け制定の際に第1級に選出されたシャトー・ラフォリ・ペラゲの一部でした。

1914年、シャトー・ラフォリ・ペラゲのぶどう畑の高い位置にあったわずか8haの区画を当時、シャトー・オー・ボム(現在ではこのシャトー・オー・ボムがセカンドワインの位置付けとされています)を所有していた現オーナーの高祖父にあたるユージン・ガーヴェイ氏が購入したのです。

1930年には道路を挟んでワイナリーの向かい側にある、ソーテルヌ・バルサック格付け特別第1級シャトー・ディケムと境界を接する4haの畑を購入。1969年、後を引き継いだ曾孫にあたるジャック・ポーリー氏はボルドー大学でワイン醸造研究所所長を務めたでエミール・ペイノー博士の指導を受けながら、このドメーヌの品質を向上させたのです。そして1980年代にそのワインは世界中の名だたるワイン評論家から称賛されるようになりました。

1990年代には収穫量をさらに精密にし、新樽の比率を増やすことによりさらに品質を向上。2002年には、娘のマーティン・ラングレ・ポーリー女史が後を引き継ぎました。

そして2007年、マーティン・ラングレ・ポーリー女史はグランヴァンの名前から「シャトー」を外したのです。その結果、ワイン名は家族経営でしっかりと守ってきた、簡素なワイナリーと壁に囲まれた「クロ」をもつ小さな、まるでブルゴーニュのドメーヌのような形態であるこのワイン及びワイナリーの現状を現実的に近づけたのです。

しかしこの頃、フランス国内、輸出市場ともに甘口ワインの需要が停滞し、ソーテルヌの多くのシャトー同様、経済的に行き詰まり新たなオーナーへ手放すことになります。

ベルナール・マグレ氏による所有


シャトーの伝統は、ベルナール・マグレ氏が引き継ぐことになりました。彼は元々ポートワインを主に取扱う小さな会社を営んでいましたが、実際にワイナリーで働いた経験はありませんでした。ポートワインの他にウイスキーやカクテルなどを扱い、その後10年で事業は大きく成功することになりました。

その財をもとに1978年スペインのワイナリーを買収したことによりワイン業界に進出。その後2000年にシャトー・ラ・トゥール・カルネのオーナーになり、今ではグラーヴの格付けシャトー、シャトー・パプ・クレマン、サン・テミリオンのシャトー・フォンブロージュ、ソーテルヌ格付けのシャトー・クロ・オー・ペラゲと、豪華な4シャトーのオーナーとなっています。

醸造コンサルタントにミシェル・ロラン氏を雇いうだけでなく、醸造設備、セラーの改修などに余念がなく、その品質向上は目を見張るものがありその名声は揺るぎないものとなっております。

クロ・オー・ペラゲの評価


ベタンヌ&ドゥソーヴの「ル・グラン・ギド・デ・ヴァン・ド・フランス」誌では「このクリュは、オー・ポンムの頂上ではないが最も高い部分に位置し、このため近隣の他のプルミエ・クリュを見下ろしているようにも感じられる。土壌は粘土質に富み、このためワインは、ボディがしっかりとして豊満となる。造り手のヴィンテージは、収穫も醸造も非のうちどころがなく、世界の素晴しい極甘口ワインの一つとしては、リーズナブルな価格を持っているため、なおさらよりいっそうの成功をおさめている。」と評価。

ロバート・パーカー氏も「ここは明らかに品質が良くなったシャトーである。価格は適正なままだ」と評価しています。

クロ・オー・ペラゲの特徴


ペラゲとは丘という意味。ぶどう畑のテロワールはおそらくソーテルヌでも1、2位を争う極上畑です。このぶどう畑の周りに隣接しているのは、元々一緒のシャトー・ラフォリ・ペラゲだけでなく、格付け特別第1級シャトー・ディケム、格付け第1級シャトー・ド・レイヌ・ヴィニョー、シャトー・シガラ・ラボー、シャトー・ギロー、シャトー・ラ・トゥール・ブランシュと錚々たるシャトーばかりで、標高80mを少し切る小高い丘の頂にあります。後に購入した4haのぶどう畑の標高は少し低い位置にあります。

ぶどう畑は北東の向きで、土壌は粘土の底土の上を砂の多い砂利が覆っています。この土壌と畑の向きがワインに常に存在する天性の新鮮味をもたらしていると言われています。このぶどう畑で樹勢が強すぎると思われる小区画は草で覆い、除草剤の使用はやめ、収穫は精密を極め、反復摘果の回数も増やしたのです。

2009年にはセミヨンの栽培面積が92%も占めていますが、これは「テロワールがワインに自然な新鮮さとエレガントさを与えてくれるから、特にブレンドにソーヴィニヨン・ブランを入れなければならないということはない。」という考えからきています。その比率はさらに増えています。