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シャトー・デスミライユ

Chateau Desmirail

シャトー・デスミライユの歴史


シャトー・デスミライユは、ボルドー地方のオーメドック地区 カントナック村に位置する格付けシャトーです。

その歴史は、1661年に、ローザン家がその畑を買ったことに始まります。デスミライユという名前は、17世紀の終わり以降、メドック地区のワイン生産とずっと関連し続けていますが、それは、ボルドー議会の弁護士、ジャン・デスミライユが妻との結婚の際に妻の一族からもたらされた土地に、自らの名前を付けたことに由来します。

その後、1855年のパリ万博の年にメドックの格付けがされるまでシャトー・オーゾンヌの家系のデスミライユ家が、シャトーを所有していましたが、格付けがなされる前から、そのワインは名声を博していました。

以後、シャトー・マルゴーの支配人、シピエル氏がシャトーを購入し、彼の下で、シャトーは、第3級に格付けされました。その後、シャトーは、様々な持ち主の手に渡ることになります。

例えば、20世紀初頭の一時期、著名な作曲家メンデルスゾーンの甥のロバート・メンデルスゾーンが所有したこともありました。第一次世界大戦後、シャトーは、一時、敵国資産として国に没収されたり、北フランスの手袋メーカーが購入したり、建物と畑が別々の所有者になったりして、デスミライユの名前は、残念ながら、消滅したも同然になりました。

第二次世界大戦前に、シャトー・パルメが購入し、しばらく所有しました。ボルドーワインを体現するといっても過言ではないルシアン・リュルトン氏は、いろんな持ち主に細かく分散した畑を買い集め、1980年、シャトー・パルメから最後の畑を買い戻しました。そして、ここに、ようやく、シャトー・デスミライユの名前が復活し、1983年以降、ワインの品質が回復し、3級格付けに恥じないものとなりました。

1992年、ルシアン氏の死後、彼の10人の子供が土地を引き継ぎましたが、兄弟の一人、弁護士のデニ氏がシャトー経営を引き継ぎ、シャトーの発展のため、全力を注いでいます。

シャトー・デスミライユの特徴


シャトー・デスミライユのすぐれたワイナリーの建物は、19世紀末ごろまで遡り、さまざまな建築的様式を反映しています。とりわけ、19世紀末、技術革新を追求した、船底の形の天井とその下に鉄の梁がある、特徴的な建築様式で建てられた醸造室は、グラビティシステムが採用されています。

1997年、デニ氏は、様々な発酵過程に対応することができるよう、近代的ステンレス製タンクに入れ替えるなど大投資を行いました。これらの施設の近代化において、デニ氏とテクニカルディレクターのピエール氏は、シャトーの伝統の持ち味を損なうことなく、現存の建物を最適化し、カスタマイズしてきました。現代的な技術と設備のもとで発酵させながら、それだけに頼ることなく、伝統を重んじることも忘れないこの姿勢が、デスミライユをデスミライユたらしめています。

畑は、アルサック村、カントナック村、スサン村にあわせて34haあります。その畑には、カベルネソーヴィニヨンとメルロが約半々植えられています。

ワインとは、畑におけるその年の仕事の結果です。ブドウは、手摘みされ、畑で選別された後、ブドウの房は除梗されます。その後、軽く破砕され、収穫された区画別に、桶に入れられます。ステンレスとオークの2種類が使われています。

デスミライユにおける、重要な段階が11月に行われるブレンディングです。デスミライユはじめボルドーワインは、適切なブレンディングが行われています。ワインメーカーによって、その比率が変わり、それがそれぞれのワインの持ち味になるのです。そして、ワインは約1年間、熟成されます。新樽比率は、その年によって変化しますが、30%より少なくなることはありません。

シャトー・デスミライユの評価


シャトー・デスミライユは、フランスでも、名のあるワイン銘柄の一つです。とりわけ、ボルドーワインの中において、シャトー・デスミライユの名を知らないワインラヴァーはいないでしょう。

飲み頃が続く期間は、もちろん、ヴィンテージによって異なりますが、収穫後3年から12年ぐらいでしょうか。ただし、マルゴー村のスタイルを体現したエレガントなワインは、ブレンドされるメルロが、比較的多いため、若いうちからすぐにも、十分楽しめるワインでもあります。マルゴーの中でも、秀逸のテロワールを表現したデスミライユのワインは、フィネスとエレガンスをあわせ持つ、舌触りがなめらかな、繊細な味わいです。

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