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ヴォーヌ・ロマネ Vosne Romanee



「神に愛された村」と喩えられるヴォーヌ・ロマネ。ワインの実力、知名度、人気のどれをとってもこの村に勝るものはありません。世界最高のピノ・ノワールと称えられ、豊満で気品があり、その官能的なワインは世界中のワインラヴァーの垂涎の的となります。

これだけの人気を誇る理由としては、「ブルゴーニュの輝く宝石」とたとえられる8つのグラン・クリュがあることに他なりません。そしてその頂点で燦然と輝いているが、あのロマネ・コンティです。ロマネ・コンティは世界で最も高価なワインであり、その存在はすでに実体から離れ、神秘的で崇拝の対象ともなっているワインなのです。

ヴォーヌ・ロマネ村はコート・ド・ニュイ地区の、ヴージョ村とニュイ・サン・ジョルジュ村の間に位置します。ヴォーヌ・ロマネ村の北側には張り付くようにフラジェ・エシェゾー村があるのですが、この村にはアペラシオンが認められていないので、通常ヴォーヌ・ロマネのワインとして取り扱われ、ペアでひとつのエリアと位置づけられています。実際に特級畑であるエシェゾーとグラン・エシェゾーは、フラジェ・エシェゾー村にある畑です(フラジェとヴォーヌの村は境界をめぐってたびたび争いがあったようで、1599年に両村の境界をはっきりさせたという記録が残っています)。

ヴォーヌ・ロマネの由来




ヴォーヌ・ロマネの名前の由来については、頭のVosneについて2つ説があります。

1)紀元630年の文献には「Vosne村」のことを「以前のVaona村」であると記されています。Vaona はガリア語(ローマ人がヨーロッパに侵入してくる前の民族の言葉) のwadonaが語源で、水という意味がありそこから来たのでは、という説。また同じくガリア語で、「vidumos=森」という意味なのでそこから来たのでは、とも言われています。いずれにしても自然が豊富なところだったようです。

2)ラテン語の「vidubia=森」から来たのではないかという説。

1、2の説を総合すると、どうもガリア語にしてもラテン語にしても「森」が語源に なっているのは確かなようです。

ロマネはラテン語の「Romanus=ローマ人」から来ています。紀元92年にローマ第11代皇帝ティトゥス・フラヴィウス・ドミティアヌス(在位81〜96年)の命によりイタリアからブドウの木がこの地に植樹されたという記録があります。

ヴォーヌ・ロマネの始まり




890年ごろ、ブルゴーニュ初代公爵リシャールの姪エルマンジャールと、その夫であるヴェルジーの領主マセナによって、サン・ヴィヴァン修道院が創設されます。1131年にはブルゴーニュ公ユーグ2世が、ヴォーヌやフラジェの土地をサン・ヴィヴァン修道院に寄進しました。その後、1241年、1276年、1285年にも土地を寄進されています。これらが具体的にどの畑だったのか不明ですが、ヴォーヌ・ロマネの歴史はこの頃から始まったと言えます。

また、この地がピノ・ノワールの一大産地となった理由として、1395年の「ガメイ種禁止勅令」があります。それまで栽培がしやすく収穫量が多いガメイは、コート・ドール一帯でも栽培されていましたが、この地方の特徴である石灰質土壌では、酸味の強い、 薄いワインしかできませんでした。この時ブルゴーニュ公国を統治していたフィリップ2世は、この凡庸なワインを嫌い、コート・ドールでガメイを栽培することを禁止したのです。この「ガメイ種禁止勅令」により、コート・ドール一帯のガメイが引き抜かれ、この地はピノ・ノワールの一大産地となり現在に至ります。

ヴォーヌ・ロマネの8つのグラン・クリュ




ロマネ・コンティ(Romanee Conti)1.805ヘクタール

畑の周りはすべてグラン・クリュに囲まれている。日当たりの良い東南東の向きの畑で、標高262メートルから272メートルのところにある。ヴォーヌ・ロマネ村の地層は、表土が粘土石灰岩の褐色土壌で、その下の4〜5地層にぶどう樹は関わっている。ロマネ・コンティの土壌はジュラ紀の中期に当たるドッガー期によるもので、あらゆる要素が絡むことで極上のワインを生む。畑はドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティによるモノポル(単独所有)

ラ・ターシュ(La Tache)6.062ヘクタール

ラ・グランド・リュの南に接し、ロマネ・コンティと同様ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティによるモノポルである。標高250メートルから300メートルのところにあり、極めて水はけの良い畑。

ラ・グランド・リュ(La Grande Rue)1.65ヘクタール

ロマネ・コンティとラ・ターシュの間にはさまれた畑。標高250メートルから290メートルにある細長い畑。ドメーヌ・フランソワ・ラマルシュによるモノポル。長らく1級格付けの畑であったが、1992年にグラン・クリュに昇格した。

リシュブール(Richebourg)8.03ヘクタール

畑の南側がロマネ・コンティと接する位置にある。畑のリュー・ディは、リシュブールとレ・ヴァロワイユの2つからなる。畑の所有はドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティが最大であり、以下ドメーヌ・ルロワ、ドメーヌ・グロ・フレール・エ・スールと続く。

ラ・ロマネ(La Romanee)0.85ヘクタール

ロマネ・コンティの西側に接する0.85ヘクタールの畑は、フランス最小アペラシオンである。畑はロマネ・コンティの上部になるので、標高300メートルに近くなる。畑はドメーヌ・コント・リジェ・ベレールのモノポルで、かつては耕作、醸造、販売を委託していたが、2005年からはすべてコント・リジェ・ベレールにより行われている。

ロマネ・サン・ヴィヴァン(Romanee St.Vivant)9.44ヘクタール

12世紀ごろからサン・ヴィヴァン修道院に寄進された畑で、フランス革命まで修道院が所有していた。畑はロマネ・コンティ、リシュブールの東側にあり、斜面の下部に当たるため、標高は247〜260メートルで、この村のグラン・クリュの中では最も低い場所にある。畑の所有はドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティが最大であり、以下ドメーヌ・ルロワ、ルイ・ラトゥール、ドメーヌ・ジャン・ジャック・コンフュロンと続く。

エシェゾー(Echezeaux)37.69ヘクタール (フラジェ・エシェゾー村)

コート・ド・ニュイの中ではクロ・ド・ヴージョに次ぐ広さを誇るグラン・クリュ。もとはエシェゾー・デュ・ドシュ(3.55ヘクタール)というリュー・ディが本来のエシェゾーであったが、1937年のAOC制定により周りの10のリュー・ディが統合され現在に至っている。そのため畑は標高、傾斜、土壌などテロワールの差異によりワインの質も様々である。エシェゾーの中で最も素晴らしいリュー・ディとされるのがエシェゾー・デュ・ドシュ。

グラン・エシェゾー(Grands Echezeaux)9.14ヘクタール (フラジェ・エシェゾー村)

エシェゾーの東側に接し、クロ・ド・ヴージョに隣接する畑。エシェゾーの最も優れたリュー・ディであるエシェゾー・デュ・ドシュの下部に位置するクリマ。フランス革命以前はレ・エシェゾー・デュ・バ(下部のエシェゾー)と呼ばれていたが、19世紀初めにはエシェゾー・デュ・ドシュ(3.55ヘクタール)よりも畑が大きいことで、グラン・エシェゾーと一般的に呼ばれるようになった。

ヴォーヌ・ロマネの秀逸な1級畑




レ・ボーモン(Les Beaux Monts)
オー・ブリュレ(Aux Brulees)
レ・ショーム(Les Chaumes)
クロ・デ・レア(Clos des Reas)
クロ・パラントゥー(Cros Parantoux)
アン・オルヴォー(En Orveaux)
レ・ゴーディショ(Les Gaudichots)
オー・マルコンソール(Aux Malconsorts)
オー・ドシュ・デ・マルコンソール(Au-dessus des Malconsorts)
オー・レニョ(Aux Raignots)
レ・スショ(Les Suchots)



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