ブラックカラントからローストコーヒー、ミント、レザーまで多彩な香りを持っています。1956年ムートン・ロスシルドのラベル「La tache de vin(ワインの染み)」では、人の手で綿密に管理された自然の豊かさが表現されている。伝統のモチーフである牡羊も描かれている。デザイナーのパヴェル・チェリチェフ(1898年〜1957年)は、モスクワ生まれ。キエフ美術アカデミーで学び(1918年)、旅を続けた後、1923年にパリへと拠点を移す。1926年、活動初期に傾倒していた抽象美術との決別。ネオ・ロマンティック主義者らと展覧会を催す。その2年後には、ディアギレフのバレエ「頌歌」の舞台美術および衣装を担当している。それと同時期、シュルレアリスムの活動グループとの関係を強める。戦争初期にはニューヨークへ拠点を移し、そこでタンギー、エルンスト、そしてブルトンと再会。ダリの技法を用い、幻想的ヴィジョンと精密な描線を結びつける作品を制作する。
真に名高きメドック1級のムートンロートシルトの60年物の希少な赤ワイン!
このワインについて
カベルネソーヴィニョン77%、メルロー12%、カベルネフラン9%。ブドウ樹は標高27mの山腹の深い砂利の土に植えられています。カベルネ・ソーヴィニヨンは80%、メルローは16%しか植えられていません。他のブドウはカベルネ・フランとプチ・ヴェルドです。R.C.として非常に長期熟成のポテンシャルがあるワイン毎年約3000本を販売しています。ブラックカラントからローストコーヒー、ミント、レザーまで多彩な香りを持っています。1956年ムートン・ロスシルドのラベル「La tache de vin(ワインの染み)」では、人の手で綿密に管理された自然の豊かさが表現されている。伝統のモチーフである牡羊も描かれている。デザイナーのパヴェル・チェリチェフ(1898年〜1957年)は、モスクワ生まれ。キエフ美術アカデミーで学び(1918年)、旅を続けた後、1923年にパリへと拠点を移す。1926年、活動初期に傾倒していた抽象美術との決別。ネオ・ロマンティック主義者らと展覧会を催す。その2年後には、ディアギレフのバレエ「頌歌」の舞台美術および衣装を担当している。それと同時期、シュルレアリスムの活動グループとの関係を強める。戦争初期にはニューヨークへ拠点を移し、そこでタンギー、エルンスト、そしてブルトンと再会。ダリの技法を用い、幻想的ヴィジョンと精密な描線を結びつける作品を制作する。
生産者について
100年以上も変更されることのなかった1855年のメドックの格付け。それを覆し、第1級に格上げされた唯一のシャトーが、シャトー・ムートン・ロートシルトです。それだけに、その実力は並外れたものといえるでしょう。ユダヤ系の大富豪ロートシルト家がこのシャトーを購入した1853年のわずか2年後、パリ万博開催のために制定されたメドックの格付けで、必ず1級を取ると思われていたムートンは、2級に格付けされるという屈辱を味わいます。これに奮起したロートシルト家は、「1級にはなれないが2級には甘んじれぬ、ムートンはムートンなり」と言い、醸造技術や熟成方法の工夫はもちろん、いまやムートンの代名詞ともいうべきアートラベルも導入しました。
1級になるための働きかけも怠らず、ついに1973年、4世代にわたる努力の末、ムートンは悲願の昇格を果たしたのです。その時、「われ1級になりぬ、かつて2級なりき、されどムートンは昔も今も変わらず」という名句を残したという、有名な逸話が残されています。
ムートンの人気を支えるアートラベルは、1945年以降、毎年著名なアーティストにラベルを飾る絵を依頼していて、ダリ(58年)、ミロ(69年)、シャガール(70年)、ウォーホル(75年)など、豪華なアーティストが描いたラベルの数々は、見ているだけでもうっとりする美しさで、コレクターも多く存在します。このラベル・コレクションの火付け役であるフィリップ・ド・ロートシルト男爵は、1922年から、独創的なアイデアでシャトーの改革を続けた、大胆不敵なカリスマ的人物でした。今では当たり前のこととなっている「ワインを瓶詰めする」ということを最初に行ったのも彼だったのです。
ムートンは、五大シャトーの中で最も“豪勢”“派手”と言われています。ラフィットの優雅さ、マルゴーの女性らしさ、ラトゥールの男性的な力強さなどとは一線を画し、濃厚で芳醇、ふくよかで肉づきがよくリッチな味わいです。そして、深くてエキゾチックな魅力もあり、10〜15年、じっくり瓶の中で熟成させていくと、獣肉のような艶めかしさが現れてくるという、とても魅惑的なワインなのです。年によって異なる、とても美しいラベルを持つムートンは、特別の日に飲んだり、贈り物にも最適のワインでしょう。